2008年03月06日

ちょん



世界一賢い猫の
美しく、少しだけ哀しいお話です。






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祖母が飼っていた雌猫です。
白い毛並みが美しく、瞳は深い深い緑をたたえていました。


たっぷりとした身体を揺らし、のんびりと歩く彼女の頭の上には
真っ白な身体で唯一の黒い模様が申し訳程度にちょん、と。
  それが名前の由来です。




祖母の家には、もともと彼女の母猫が暮らしていたのですが
出産を終えて間も無くすると、彼女の兄弟猫達を連れ
突然姿を消してしまいました。
祖母の元には唯一彼女だけが残ることとなり
こうして彼女と祖母の生活が始まったのです。








彼女にとって祖母は“絶対”な存在でした。

むろん、家族全員が彼女を抱くことも、撫でることも出来たのですが
彼女が行動を起こす相手・・・・
例えば後を追ったり、甘えて擦り寄ったり、という相手は
ただ一人祖母だけで、いくら他の人間が食事を与えようと
喉元を撫で可愛がろうと、彼女にとっては結局のところ
祖母以外の人間は第三者にしかすぎず
深い深い緑色の瞳が追うのは
決まっていつも、祖母の後ろ姿だけだったのです。







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ある日。

祖母と祖父は旅行へと出掛けるため、家を留守にせねばならず
その間残った私達が彼女の世話をすることとなりました。
世話、といっても家を自由に出入する彼女に散歩やトイレ掃除の
必要は無く、ただ食事を与えれば良いという程度の簡単なもので
私達は祖母の頼みを快く引き受けました。

そして、祖母が家を出た初日
祖母との約束をきちんと果たした私達は、1階に彼女を残し
その日一日を終えるべく、2階の寝室へと引き上げました。

夜中。
目を覚ましトイレへと向かう私の寝ぼけ眼は暗闇の中で
彼女の姿を捉えました。
正確にいうと
灯も消えた玄関の玄関マットの上で丸まる彼女の姿を、です。






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『きょうはかえってこないんだよ?』
私を振り返り短くにゃあ、と彼女は応えます。
 『さむくないの?』
今度はピクリともせず、目の前の玄関扉から視線を外しません。


ただひたすらに、祖母の帰りを待っていました。


祖母が乗る車の音を記憶し、帰宅時にはそれをいち早く察し
玄関へと駆け寄り、出迎えていた彼女。
そんな彼女の心中を幼いながらも察し
とても不憫に、そして哀しく感じたのを今でも覚えています。


翌日も、さらに翌日もそれは続きました。






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そして
その後も祖母が家を空ける度にそれは必ず繰り返され
“もしや・・・”と、様子を伺いに部屋を出た私は
必ず彼女の姿を目にすることになりました。
祖母を待つ、彼女の姿。




何度も、何度も。何年も、何年も。
規則正しく、繰り返されました。






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あの夏の日までは。











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2008年03月19日

ちょん 2

あの夏の日。

あの“知らせ”を聞いた私は、何を思ったのでしょう?
一言でも二言でも、何か言葉を発することが出来たでしょうか?



当時の事を振り返り、思い返そうと懸命に努めますが
ぼんやりと輪郭だけが浮かぶだけで、鮮明には思い出せません。
記憶、とはそういうもの。
とても頼りなく、儚いものなのかも知れません。
だからこそ、美しいのかも知れませんが。




当時
あの“知らせ”を受けた私も、今の私同様にぼんやりと記憶の糸を辿りました。
いえ、“辿った”というよりも“辿らざるをえなかった”様な気がします。

祖母と彼女にまつわる全ての出来事。
祖母と彼女が関わった全ての物たち。


何もかもを出来る限り細部まで思い出すように努め
ひとつひとつをゆっくりと丁寧に、咀嚼し味わいました。


その中のひとつに、鮮やかな赤い椅子の映像が。








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  『これはお前用の椅子ね。』

祖母の和室の雰囲気にはまったく不釣合いな赤い椅子。

ある日その鮮やかな赤色の椅子を祖母はいそいそと部屋に運こび込みました。
障子に畳、茶箪笥に床の間、と全て和で統一された祖母の部屋の一角に
所在無さそうに椅子が佇みます。

元来どんな事に対しても細やかで、衣服や居住空間などには特にこだわっていた祖母。
そんな祖母だけに何故この椅子を選んだのか、と私は不思議に思い尋ねました。

  『何でもよかったの。』

簡潔に応える祖母の嬉しそうな表情を目にした私はああそうか、と納得しました。
愛情とは、そういうもの。
こだわりや、統一感や、見た目の美しさや、そういった類のものは
“あの子が喜んでくれるなら”という理由の前では無力になるのでしょう。
一切を気にする事無く、ただ純粋に、彼女の為だけに。




そして、そんな祖母の気持ちに答えるかのように
数日後には赤い椅子でくつろぐ彼女の姿が伺えるようになりました。


彼女にとってのそれまでの日課、“庭石の上での昼寝”は“椅子での昼寝”となり
今でも私が彼女を思い出す際に真っ先に思い浮かべる光景は
赤い椅子の上で誇らしげな表情を浮かべ、のんびりと寛ぐ彼女の姿なのです。






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祖母と彼女の時間はとても穏やかに、ゆったりと流れました。
と同時に周りに誰も寄せ付けないような、入り込む隙さえ与えまいとしているような
一種独特なものでもありました。


  新聞を読む祖母の足元に丸まる彼女。
  裁縫をする祖母の横で眠る彼女。




幸福な時間は錯覚させます。
“永遠”を。“終わることは無いんだ”と。

幸福な時間は忘れさせます。
“終わり”を。“永遠、という言葉は感覚にすぎない”という事を。


そしてそれは、祖母達にも例外ではありませんでした。
濃厚で暖かな空気が2人の周りを包み、2人にとっては
いつまでもいつまでも続くかのような柔らかな時間だったのです。
少なくとも、2人にとっては。



祖母の後を追う彼女の軽やかな足音や、彼女の名前を呼ぶ祖母の弾む声。
これらの心地よい音たちも決して止むことは無いだろう、と。






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ところが
そんな美しい時間に突然
本当に突然、終りが訪れました。

プツリ、とテレビの電源が落ちるように。






あの夏の日。
今から10年前の夏。
私は彼女の死の知らせを受けました。









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あの“知らせ”を聞いた私は、何を?


知らせを聞いた私は、とても深い哀しみに襲われると同時に
彼女を失くしてしまった祖母を想いました。

祖母の心情は? 今後は? 辛い? 苦しい?

     痛みは、いつまで続くだろう?


ひどく打ちひしがれているであろう祖母の様子が目に浮かび
祖母の“これから”に漠然と不安を覚えました。


彼女の不在に耐えられる? いつかは慣れるもの?
     “いつか”は、いつ訪れるのだろう?






“これから”に備え、無意識のうちに身構えます。
しかし、現実は私の不安を遥かに上回るものでした。

祖母の変化は誰の目にも明らかに、そして着実に訪れました。







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ニックネーム りえ at 10:20| ちょん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする